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狗心1988
狗心1988
连载中 | 1988年月

  米哈伊尔·阿法纳西耶维奇·布尔加科夫1891年生于基辅,1940年逝世于莫斯科。世界文坛称他是一位思想深邃、以大无畏精神向一切邪恶挑战的文学大师。其代表作《狗心》、《白卫军》、《大师和玛格丽特》等曾被苏联当局查禁没收,或“默杀”。作家死后恢复名誉、苏联文坛两度掀起“布尔加科夫热”。现在他的作品进入现代经典之列,被誉为20世纪最伟大的文学珍品之一。
  《狗心》作于一九二五年初,在文学圈子里获得一致好评,人们发现它确实尖锐地抨击了现实,但它抨击的是现实中的粗野、愚昧和荒廖。小说写一条狗因为做了人的脑垂体移植手术,突然成了有人外表的流氓,致使流氓习气随着脑垂体分泌的激素,渗入了取名沙里科夫的实验室怪物的每个细胞。沙里科夫的可怕不公在于他身上那些流氓无产者的劣性,并且在于他对社会主义的庸俗化.表面上看来,《狗心》很像一个科幻故事,但是实际上却有着反乌托邦小说的关于哲理和社会的深邃思考。
  国际知名的医生菲利普·普列奥布拉任斯基教授,为了进行改善人种的优生学试验,把一个刚刚死去的行窃的酒鬼的脑垂体和睾丸移到一只叫沙里克的狗身上。沙里克竟变成了“还处于最低发展阶段的”人——沙里科夫。
  这个能讲人言、衣食如人的衣冠禽兽,一天天显示出是一个怀着“一颗最为卑鄙龌龊的心”的败类:酗酒、偷窃、说谎、告密、无耻下流,直至栽脏陷害、用手枪威胁要强占教授的住宅。更有意味的是,这个狗“出身”的沙里科夫竟然被政府赏识而任命为莫斯科公共卫生局清除流窜动物科科长。他穿上了皮夹克(这是当时文学作品里革命者的形象模式),出入有专车——尽管是卡车。幸而两位“造物主”普列奥布拉任斯基教授和博尔缅塔尔大夫及时用手术把沙里科夫还原为沙里克,才没酿成惨祸。
  在这篇小说里,布尔加科夫力究天人之际,思考着人与自然、人与社会的关系、人的能力限度以及人对于整个自然界的责任。实际上,布尔加科夫继续阐释着一个重大的主题:人不应该僭越,不应该觊觎全能的上帝的位置。这个上帝便是自然、社会的客观法则。试图超越社会、自然的进程,把科学变为破坏客观规律的迷信,狂热蛮干地“创造历史”,是不能不受到惩罚的。正如小说《不祥之蛋》中,佩尔西科夫教授虽然掌握了科学,却缺乏对人类社会的责任感,最后死于疯狂的群众的乱拳之下;而给人类社会带来可怖的厄运的洛克,急功近利而智力低下到根本谈不上什么责任感问题,却“带着官家的公文”,则是更为可怕的。
  而在《狗心》中,国际首屈一指的名医菲利普·普列奥布拉任斯基教授空前绝后的完美手术只能创造出险些置其于死地的社会败类。普列奥布拉任斯基教授经受了自作自受的“科学实验”之后,终于觉悟道:“看吧,如果一个研究者不是摸着大自然的脉搏,与之共进,而是想加速问题的解决,揭开那神秘的帷幕,那么,就给你个沙里科夫尝尝,还让你吃不了兜着走。”
  看来,人要充当上帝——造物主的角色,结果只能是对上帝的讽刺性模拟。干扰世界的客观进程最终只能落得搬起石头砸自己的脚的下场。

加美拉对深海怪兽吉古拉
加美拉对深海怪兽吉古拉
连载中 | 1971年月

  共に海洋学者を父に持つ健一とヘレンは父親と一緒に謎の飛行物体が海に降りるところを目撃する。4人はボートで現場へ向かったが、突然海中からの光線を浴びて見知らぬ場所へと連れ去られてしまう。そこは宇宙船の中であった。現われた女性は自らをジグラ星人と名乗り、自分達の優れた科学力を証明するためと言って彼らの目の前で東京にマグニチュード13の大地震を発生させた。未曾有の大災害中、ジグラ星人は人類に降伏を要求した。海に住むジグラ星人は、自分達の星の海を公害で汚してしまったために移住先として美しい海を持つ星を探し、480光年離れた地球を見つけたのだと言う。ジグラは海を占領するだけでなく人類を食料にしようと目論んでいるのだ。子供達は宇宙船からなんとか脱出したが、彼らを追ってジグラ星人を名乗る女性も上陸した。一方、ガメラの火炎攻撃を受けた宇宙船は爆発し、海中を飛ぶように移動する銀色の怪獣が現われた。これが本当のジグラ星人の姿であった。母星との水圧の違いからジグラは見る間に巨大化する。ガメラは戦いの場をジグラが苦手とする地上に移すが、光線の連射を浴びて海中に倒れてしまった。身動き一つできないガメラ。防衛軍の攻撃ではジグラに対して全く効果がない。最後の希望としてガメラを救助に向かった健一達4人も、逆にジグラに1万メートルの日本海溝へと引き摺り込まれてしまった。4人を人質に取られた防衛軍総司令は遂に降伏を決意した……。
  事実上、昭和ガメラシリーズの最終話となる第7作。鴨川シーワールドとのタイアップにより、海中以外のシーンの大半はシーワールド内のものである。ただしジャイガーの時ほど制作費は掛けられなかったため、戦闘シーンも海中と海岸に限られ、街中のシーンがないのが残念であった。ストーリーとしては、同時期に公開された東宝の『ゴジラ対ヘドラ』と同じく、海の汚染を大きな柱とし、公害の恐ろしさを訴えた作品であるが、対ギロンや対ジャオガーと比べて内容に若干まとまりがなく、個々の展開も妙にあっさりしている感がある。相手の動きを止めることで簡単に宇宙船から脱出できたシーンや、4人を人質に取られただけで現場の司令が全人類を代表して簡単にジグラに降伏してしまうところなど、当時の子供達でも“冗談じゃない”と思ったはずである。もっとも子供を人質に取られると人類全部が降伏してしまうのはガメラシリーズの特徴でもあり、“子供の命は地球より重い”を貫いているとも言えるが……。シリーズの他の作品と比較して特徴的なのは、ジグラ星人に操られた女性役を演じる八並映子の存在である。ビキニで街中を駆け回るシーンは当時の小学生には随分と刺激的であり、月面基地で研究にあたる地質学者とは到底思えなかった。結果的に最終話となってしまったが、それは制作元の大映の倒産という不測の事態によるものであって、これを作成した時点ではガメラシリーズ自体は続きを作る予定であったため、特にシリーズ最終回を彩るものはない。これ以後、およそ9年後の『宇宙怪獣ガメラ』まで、またオリジナルと言う点では24年後の『ガメラ 大怪獣空中決戦』までガメラは子供達の前からその勇姿を隠すのであった。